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2014年7月19日 国境の赤錆橋
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先日、「夢かけ風鈴祭り」を見に行った際に、矢作川にかかる真っ赤に錆の浮いた橋が気になりました。
錆フェチとしては放ってはおけない被写体です・・・つい、にじり寄って撮ってきました。
良い面構えですよねえ、「おいらは鉄だよ、文句あっか~♪」と開き直ったゆようなハードボイルドな構造ブツ、大好物なんですよね。^^v

昭和15年(1940年)7月改築との銘が付いていたので、少なくとも74年以上前からここにあった古い橋のようです。
銘板を見ると橋の名前は両国橋と言うようです・・・「二つの国を結ぶ橋」ってことかな・・・でも、ここ、別に県境でもなんでもないよな・・・

気になったので、帰宅後調べてみましたよ。
なんと、昔は矢作川のこの場所、三河国と美濃国の国境だったことが判明しました。
昔はここに渡し場があったらしいですが、大正8年(1919年)にここに橋ができ、両国橋と名付けられたんだそうす。
ちなみにこの両国橋、川のこちら側と向こう側では構造が違うそうです・・・愛知県と岐阜県、違う工法でかけたんだそうです。^^;

その後、昭和30年(1955年)の昭和の大合併の際に、愛知県の旭村が岐阜県三濃村を吸収合併しました。
いわゆる県をまたいだ越境編入ですから、それなりに大事件だったようです。
三濃村が分割・越境編入となったのは、三濃村の北部(旧・横通村)と南部(旧・野原村、浅谷村)が峠で隔たれており、交流面でも北部が明智町、南部が旭村との繋がりが深かったからなんだとか。

それならなんで初めから愛知県の一部になっていなかったのか、と言うと、これまた長い話らしいのです。
室町時代、矢作川の対岸の野原村は三河国加茂郡足助庄仁木郷でした。
でも、この地域を支配する領主が、隣接する美濃国恵那郡の領主であった遠山氏へ娘を嫁がせる際に、旧・野原村を美濃国恵那郡に化粧料として割き与えたんだそうです。
殿様の身勝手な理由で、ここの矢作川が長い間、三河と美濃の国境だったらしいです。^^;

いずれにせよ、昭和30年以来、この場所は県境ではなくなったんだそうです・・・
ふ~ん、知らなかった・・・人に歴史あり、橋に歴史あり、なんですねえ♪

愛知県豊田市小渡町 両国橋にて
Nikon D610
Tamron SP AF 28-75mm/F2.8 (Model A09II)
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by blackfacesheep | 2014-07-19 06:00 | Rusty Scene
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