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2015年5月26日 青い目の近江商人が建てた郵便局
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先日の近江八幡の旧市街にある古い木造のギャラリーです・・・そこには一枚の古い結婚式の写真が飾られていました。
日本人女性と外国人男性のカップルですね。

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この外国人の名前はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 - 1964年5月7日)と言います。
彼はアメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家として有名です。

ヴォーリズは1905年に滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日後、この近江八幡を本拠地として活動をつづけました。
彼は華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子さんと結婚し、1941年に日本に帰化してからは、夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗ったそうです。
「米来留」とは、米国より来りて留まるという洒落なんだとか。

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彼はのちの近江兄弟社の創立者の一人でもあり、メンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもありました。
また平信徒のキリスト教の伝道者でもあり、讃美歌などの作詞作曲も手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介した人でもありました。

ヴォーリズは生涯個人資産を所有せず、収入のほとんどを伝道活動や、日本初の私設の結核療養所である近江サナトリウム(現ヴォーリズ記念病院)、近江兄弟社学園の設立をはじめとする社会奉仕活動の資金に使ったのだそうです。

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またヴォーリズは、戦争直後に昭和天皇を守ったアメリカ人としても知られています。
彼は近衛文麿元首相に会い、天皇が日本の象徴として人間宣言をするというアイデアについて話し、天皇とマッカーサー元帥の会見をセットしたのだそうです。

彼は亡くなるまで一切そのことを口にしませんでした。
でも彼の死後、昭和58年に東京新聞が「終戦直後に、天皇とマッカーサー元帥の会見のためにヴォーリズが大きな活躍をした」という記事を報じました。
その後ヴォーリズの当時の日記や夫人の証言などから、事実が明らかになってきたのだそうです。

ちなみに、近江商人は「陰徳善事」という考えを大切にしてきたのだそうです。
陰徳善事とは人に知られないように善行を施すことだそうです・・・ヴォーリズも「陰徳善事」の精神に徹したのですね。
「ヴォーリズは青い目をした近江商人」・・・けだし名言だと思います・・・没してなお、近江八幡ではとても愛されれている偉人のようでした。

さて、このギャラリー、実は彼の建てた建築物の2階に設置されていました・・・下に降りてみましょう。

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1階の窓からは、静謐な光が溢れていました。

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1階の玄関先には、赤い丸ポストが置いてありました。

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おもての庇には逓信省のシンボルマークが・・・はい、これは旧八幡郵便局なんであります。
ヴォーリズの設計によって1921年に竣工し、1960年まで郵便局の局舎として使用されていたものだそうです。

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スパニッシュと和風の町屋造りの折衷デザインで、個性的でありながらも近江八幡の和の情緒が漂う町並みにも溶け込んでいました。

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郵便局としての業務終了後、玄関部分が取り壊されたらしいですが、2004年に復元されたのだそうです。
現在はギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されており、この日の午後もJAZZコンサートが開かれておりました。
こういう古い建物を大事に使い続ける・・・これも「始末してきばる」と言う近江商人気質にふさわしい使い方ですね。
青い目の近江商人、ヴォーリズも喜んでいるのではないでしょうか。

滋賀県近江八幡市仲屋町中8 旧八幡郵便局にて
Nikon D610
Tamron SP AF 28-75mm F2.8 (Model A09II)


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by blackfacesheep | 2015-05-26 05:00 | Old Buildings
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