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Black Face Sheep's Photolog

黒顔羊のデジタルフォトギャラリー#1です。光蜥蜴(ヒカリトカゲ=光と影)や錆びたもの・滅びゆくものが大好きです。 自分の魂の目に感光したものは何でも撮ります。


by blackfacesheep

2014年6月10日 クルマで綴る昭和史

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トヨタ博物館には、外車のみならず国産車も多数展示されています。
私が生まれたのは昭和31年(1956年)、物心がつくころから、ちょうど日本のモータリゼーションが始まりました。
幼き日々に見たクルマって、いまだにとてもよく覚えているんであります。

さてこちらは、今はトラック屋さんになってしまった日野が作っていた乗用車、日野コンテッサ PC10型です。
リアエンジン・リアドライブ車ゆえに、グリルレスでリアドア前にエアインテークがあるのがかっちょ良かったです。

このクルマが発表されたのは1961年、私は5歳で東京の東郷神社の隣の幼稚園に通っていたころですね。
家がJR山手線原宿駅前の竹下通りにあったんですが、あのころはまだ原宿ものんびりとしていて、昔ながらの商店街が広がっていました。

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こちらも同じ1961年に発表されたトヨタ・パブリカ UP10型です。
パブリカとは"Public"と"Car"の合成語で、まさしく大衆向け実用車を意図して作られた車で、最初はとてもシンプルな車でした。
ところが世の中は高度成長時代となり、高級志向が強まりはじめ、シンプル=貧乏くさい、というイメージを与え、商業的には大失敗・・・
結局1966年に、大規模なマイナーチェンジでよりデラックスさをアピールする仕様になり、ようやく売れ始めました。
お値段は35.9万円、当時の為替レートが1ドル=360円、そのため1000ドルカーと呼ばれていました。
空冷独特のエンジン音が懐かしいです。^^

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ダットサン ブルーバード P312型です。
いわゆる310系ブルーバードの最終モデルで、1963年に登場ました。
ピニン・ファリーナがデザインした410系があまりに人気があったので損しているモデルですが、癒し系の良いデザインだったと思います。

さて1963年と言えば、私は東京の世田谷のはずれにあった小学校の2年生でした。
あの頃の世田谷は、田圃の広がるのどかな田園地帯で、冬になるとあぜ道の霜を踏みながら登校したのを覚えています。^^;

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1964年製のプリンス・グロリア・スーパー6(です。
プリンス自動車は、1966年に日産自動車と合併してしまいましたが、私が子供の頃はスカイラインとこのグロリアが二枚看板でした。
これはそのグロリアの二代目で、国産市販車としては初のOHC6気筒エンジンを搭載し、155km/hの最高速度と静粛性を誇る高級車でした。

1964年と言えば・・・そう、東京オリンピックですね~♪
小学校の校庭から、自衛隊のブルーインパルスが描く五輪マークを見て感動しておりましたねえ♪

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さて、1966年であります・・・この年に作られたいすゞ ベレット 1600GT PR90型です。
いすゞも今やバス・トラック専業となってしまいましたが、この頃はまだ魅力的な小型乗用車を作っておりました。
この「ベレジー」は、国産車で初めて"GT"を名乗り、SUツインキャブ装着で高出力、優れた加速性で人気を集めておりました。

1966年と言うと、私は名古屋に転居し、昭和区の滝川町にある小学校の4年生、同級生との会話はテレビ番組のことばかりでしたねえ。^^;
第一次怪獣ブームの真っただ中でして、ウルトラQやウルトラマン、怪獣ブースカなどが人気でした。
テレビアニメも花盛りで、おそ松くん、ハリスの旋風、ジャングル大帝、魔法使いサリー・・・TV放映にはまったガキンチョの第一世代ですね。^^;

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さて1967年に作られたクルマ、スバル 1000です。
軽自動車スバル360で一世を風靡した富士重工が開発した1000ccの小型車で、水平対向エンジン・前輪駆動の先進的レイアウトでした。
このFFレイアウトにより、2,400mmという長いホイールベースが可能となり、1500㏄クラスに匹敵する広大な室内スペースを生み出しました。
また四輪独立懸架により、優れた乗り心地とロードホールディングを実現し、FF方式ならではの直進安定性で高速道路でも安全快適でした。

さて1967年と言うと、私は同じ区内でまた転校し、吹上にある小学校の5年生でした。
この頃のTVでは歌謡ショーと言うのが花盛りで、いまだにこの時代の歌ならカラオケで歌えるんであります。
世界は二人のために(佐良直美)、小指の想い出(伊東ゆかり)、恋のハレルヤ(黛ジュン)、 虹色の湖(中村晃子)、君こそわが命(水原弘)、この広い野原いっぱい(森山良子)、いとしのマックス(荒木一郎)、ブルー・シャトウ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)、モナリザの微笑(ザ・タイガース)、 風が泣いている(ザ・スパイダース)、帰って来たヨッパライ(ザ・フォーク・クルセダーズ)・・・あはは。^^;

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ホンダ N360 N360型(1969年モデル)であります。
ホンダが作った最初の本格的量産型乗用車で、通称エヌコロと呼ばれておりました。
後年、叔父からこのエヌコロの中古を譲り受け、私の最初の自家用車となりましたが、そりはそりはスパルタンな自動車でした。
およそ常識が通用しない面妖な車でしたが、車を操る快感に溢れたとってもグルーヴィな車でしたねえ♪

さて、1969年と言うと・・・ウッドストック・フェスティバルなんであります♪
この時私は名古屋の鶴舞にある中学校の1年生、ぼつぼつ洋楽に目覚めつつある年頃なんでありました。
当時、放送部に所属し、昼休みになると自分の好きなレコードを校内放送でかけておりました。^^;
と言っても、さほど過激なものをかけるわけにはいかず、フィフス・ディメンション「輝く星座」とか、ジリオラ・チンクェッティ「雨」とか、フランシス・レイ・オーケストラ「白い恋人たち」あたりでしたけどね。^^

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1972年、ホンダ・シビックが発売されました。
日本の2ボックス車の先駆けとなり、クルマのミニマリズムとかチープシックなどの言葉は、シビックから始まったのかもしれません。
この写真のCVCCシビックは私の弟の奥さんが独身時代に乗っていた車で、私もよく乗せてもらいました。
その後、私も初代シティ、三代目のシビック・セダン、アコード・セダンを2台乗り継ぐと言うホンダ・ファンになってしまいました。^^;

さて1972年・・・私は名古屋の瑞穂区にある愛知県立高校の1年生でした。
高校に入るまでは、きっちり洋楽にはまりこんでおりました・・・ビートルズは"Let it be"をかろうじてリアルタイムで聞いた世代です。
CreamとかLed Zeppelinなどの英国ロックが好きだったんですが、高校から吹奏楽部でサックスを吹き始めて好みが変わりました。

Blood Sweat & TearsとかChicagoなどのブラスロックに興味が移り、やがてNucleusやMahavishnu Orchestra、Chick Coreaの"Return To Forever"など、よりJAZZYな音に惹かれるようになりました。
さらにPrestigeの1,100円シリーズが登場し、1950年代の「ろいく」なJAZZにものめり込みはじめました。^^;

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1975年のモデル、イスズ ベレット ジェミニ PF50型であります。
いすづは当時GMと提携しており、グローバルカー構想に基づいてオペル・カデットをローカライズして開発したのがこの初代ジェミニでした。
そのせいか、やたら欧州車っぽいクルマでした・・・逆スラントノーズの直線基調のクリーンなデザインは、ライトグリーンやライトブルーなど、欧州車っぽいソリッドでカラフルな色が似あいました。

1975年・・・私は浪人中で尾張屋と言うJAZZ喫茶に入りびたり、JAZZアルバムのライナーノーツで英語を勉強する毎日が続きました。^^;
幸運にも翌年、名古屋の某私立大学外国語学部英米科に入学しましたが、大学に来ても授業にはあまり出席せず、部活ばかりやってました。
学内のジャズコンボに所属し、サックスを吹いていたんですが、そのコンボのドラマーの先輩が乗っていたのが、このジェミニでした。

ジェミニのトランクの深さは感動的でした・・・AMPEGのベースアンプがそのまま縦に搭載できました。
当時、ばいしょー(商売の業界用語)に出かけるときに、アンプやドラムや各種機材を車に積むんですが、ジェミニはさすがに欧州育ち、国産車では太刀打ちできないラゲッジスペースを持っていました。

さて・・・ご紹介したクルマをチェックしてみると・・・トヨタ博物館で撮っているのに、トヨタ車の写真が一台しかない・・・^^;
トヨタ車に縁がなかったわけじゃないです、我家にはトヨタ車しかなかったぐらいです・・・身近にありすぎて心に残らなかったのかもしれません。

でも、よく考えてみると・・・私って昔からマイナー志向だったんです。
トヨタ車はやはりメジャーです・・・80点主義と言う最大公約数的魅力に溢れていて、無難でした。
でも、クルマ好きの心をときめかすナニカには欠けていたかも・・・50点もなかったけど、100点もなかったんです。^^;

うむ~、そのせいかトヨタ車って、自分でお金を出して買ったことってないです・・・社用車としてトヨタ車をあてがわれたことはありましたが。^^;
自分でお金を払ったのは、ダイハツ、ホンダ、いすづ、日産、オペル、ボルボ、BMW、メルセデス、アウディ、マツダ・・・
わははは、トヨタ博物館さん、ごべんなさい<(_ _)><(_ _)><(_ _)>・・・^^;

愛知県長久手市横道41-100 トヨタ博物館にて
Nikon D600
Nikon AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G
by blackfacesheep | 2014-06-10 06:00 | Still Life